縄文人の思い。 第1回 知りたいのは、縄文人の思い。
佐藤
縄文時代の生活と、
今の自分たちの生活を結びつけては
駄目だという意見が、8割。
──
あ、そうなんですか?
佐藤
俺たちみたいに、
縄文と現代を結び付けて考える人は
せいぜい、残りの2割くらいで。
まあ、たしかに
「どうして5千年6千年前の昔話を、
今と一緒にするんだ」って、
その言い方は、ま、わかるというか。
私、2割だったのか。
思ったより多いな。2%くらいかと思っていた。
面白いと思うんだけどなー
──
では、なぜ、そう思うんですか?
佐藤
人間自体は、変わってないからです。
文字はなかったとしても、どっちも
ホモ・サピエンスなんだから、
考えてること、俺たち、一緒だよ。
──
縄文人と、佐藤さんでは。
佐藤
3万年前の人とも、俺たち同じだよ。
形質的にもまったく変わりないし。
同じ人間の頭で考えることだから、
今も昔も、
同じようなことに心を動かすし、
同じような原理で動くんじゃない、
というのが俺の立場。
私も同じ立場。
感情や直感的なところは、変わっていない。
変わったのは、社会と環境。ここでは、社会は人間同士の関係性、環境は自然またはそれを改変したもの、というくらいの大雑把な意味合い。
もちろんこれらは、人間がその長い歴史の中で築き上げてきたもの。「変わっているじゃないか!」と言われると、社会と環境に関していえば、そのとおり。
ところが個人の視点で考えてみると、これらが自然に元々存在していたものなのか、先人が作り出したものなのか、に大きな違いはない。1歳の子供でも画面をズームしようと2本の指を広げる仕草をするし、いつだって老人は若い世代の話題についていけない。
人間は、次の世代に記憶を受け継がない。
人間の思考パターンとその成長は、誰もがゼロからスタート。
今と昔では、生きていく社会と周囲の環境が違うから、入力は異なるし当然出力も異なる。
養老孟司によれば、脳の性能は基本的に誰でも大差がなく、個性なんてものはない。
違うのは五感の入力器官である肉体。肉体は自然のものだから、2つ同じものは存在しない。
入力の種類が人間の数だけあるのだから、出力も千差万別。これを個性と呼んでいるにすぎない。
そう考えると、人間の違いは、同じ時代で比べれば個性となるし、今昔で考えれば(昔の個人を特定することは難しいから統計的に扱わざるをえないが)成長と呼んでいるものを指す。
人間ができることは限られている。
いつだって人間はおいしいものを食べたいし、仲間を守るために戦うし、江戸ではワ印が流行するし、成功者に嫉妬もするし、女性が集まればオシャレとおしゃべりに夢中になる。 人間は変わらない。
ここまでが前提。
とすると、今と昔の何が違うか、という話になる。
前述のように、変わったのは社会と環境。
こう考えると人間の最も重要な機能は、知識の蓄積ができることにある、とも考えられる。